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「ふるさとへ帰ろう」 戦後、日本はモーレツな勢いで成長をとげました。戦後の焼け野原、物資の乏しい時代から60年たち、私がフォークと出会ってからでも30年が経ちました。 今、名古屋は万博の関係もあり、随分と道路も広くなり、マンションを中心としてずいぶんな数のビルが出来て都市化が進んでいます。 一方で、日本人が昔から持っていた地域の人との連帯感とか、人との関わりがどんどんなくなっているように感じます。 他方、この戦後もずっと変化が少なく、景色も変わらずにある島がこの日本には実に多く点在します。こういった島には、昔と変わらないの暮らしの中に、日本人らしい、どこかなつかしいのどかな心が残っているように思っています。 この歌の主人公は、長崎の五島列島のある島に生まれ育つ中で、島の変化のない刺激のない生活がいやで、みながあこがれるように都会にあこがれていました。そして、彼にとっての都会は、東京でも、大阪でもなく、九州は博多でした。実際、まわりの多くの人が、博多へ出て行っていました。彼の中での東京というのは、遠い外国のように思えていたんです。でも博多では、親戚・知り合いに会うかもしれない。どうせなら、誰も知らない都会で暮らしてみたい。でも東京はあまりに・・・。15歳の彼にとっての精一杯の選択肢が大阪でした。まず大阪で、次のステップとして東京・・・。 もう30年前になります。一人船に乗って島を離れる時には、いちまつの寂しさと、未来への大きな期待でいっぱいでした。 でも、大阪での暮らしは、来る日も来る日も仕事ばかりで、身の回りのこともゆっくり考える余裕さえない日々が続き、時には人を羨み、憎み、生きていく自身も無くして、すべてを投げてしまいたくなることも何度かあったんですが、最近ローンでマンションを購入し結婚をし、それなりに大阪での基盤ができ、大阪弁も板につき、大阪の人になって少し落ち着いてきたようです。 そして、子供を授かり、今度の正月には、三人家族として、島へ戻ると楽しみにしています。 その彼が、最近思うのは、時に羨み、時に憎んだこともあったんですが、結局、いろいろな形で、いろいろな人に助けられ支えられ、大阪で生活できたんだということを・・。 ふるさとというのは、五島列島なのか?・・。大阪なのか?・・。それとも、心の中にあるのか?・・。 「人はみな、美しい。人はみな、暖かい。そうさ、そこが僕のふるさと。そうさ、そこが、ぼくのふるさと」
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